INTRODUCTION
園子温監督が無名役者たちと共に日本映画を乗っ取る!
2019年に心筋梗塞で生死の境をさまよった園は、ニコラス・ケイジ主演で撮影に入る予定だった『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』が製作延期に。念願のハリウッド進出を目の前に、しばし立ち止まることを余儀なくされたが、身体の回復に務めつつ、空いた時間に出来ることはないかと考えていた。そこにもたらされたのが、劇作家・演出家・シナリオライターの松枝佳紀が主催する「アクターズ・ヴィジョン」からのワークショップの誘いだった。
役者の卵たちに少なくない額を負担させて行うワークショップには抵抗があったという園だが、受講者全員が出演する映画も同時に撮るのであれば、出演実績が残る上に、映像の世界で演じる上で欠かせない、“カメラの前で芝居をする”ことを学ぶことも出来る。かくして募集が始まった「園子温監督による役者のための実践的ワークショップ」には、わずか2週間で697名の応募があった。そこから園が全ての応募用紙に目を通した書類審査で478名に絞りこみ、その役者を対象にした第一次演技面談で95名に、さらに第二次演技面談を経て最終51名の役者たちが選抜された。園がワークショップのために用意した脚本『エッシャー通りの赤いポスト』は、ある映画に出演するため様々な境遇の人々が思いを募らせて応募用紙をポストに投函し、オーディション会場に集う群像劇。まさに今、ワークショップを受講する役者たちと同じシチュエーションが用意され、同じ環境にある役を、〈演技〉でどのように表現するかが求められた。
撮影は、2019年の8月に都内を中心に行われ、クライマックスとなる商店街のシーンは、園監督の故郷である豊橋の商店街で大がかりなロケーションを敢行。ワークショップの全参加者が集結し、通りを歩くすべての人々が主役となる本作でしか実現できない感動的な場面になっている。 本作はすでに、世界13の国際映画祭で上映され、第49回モントリオール・シネヌーヴォー映画祭では《観客賞》を受賞。ベルリン批評家週間アートディレクターのデニス・フッター氏は「今回、選考委員会は園子温監督の遊び心とアイロニーに興奮しました。監督としての長いキャリアを経て、このような根源的に繊細な作品を生み出す彼の能力には目を見張ります。『エッシャー通りの赤いポスト』は、今日の日本のインディペンデント映画の”製作の今”を鋭く正確に表現し、映画製作の将来について多くの疑問を投げかけています。」と本作を讃えている。STORY
人生のエキストラで!?立ち向かえ――
一方、助監督のジョー(小西)たちに心配されながら、脚本作りに難航する小林の前に、元恋人の方子(モーガン)が現れる。彼女は脚本の続きを書いてくれるという。1年前のある出来事を忘れることが出来ない小林は、方子に励まされながら『仮面』に打ち込み、刺激的な新人俳優たちを見つけ出すことで希望を見出すが、エグゼクティブプロデューサー(渡辺哲)からの無理な要望を飲まなければならなくなる。自暴自棄に陥った小林は、姿が見えなくなった方子を探すが……。
PRODUCTION NOTE
本格ワークショップ
これまで園は、役者志望者たちから授業料を取って行うワークショップという形式には懐疑的だった。しかし、授業だけでなく、映画を作って参加者全員が出演するならば、撮影現場でカメラの前で演じる〈映画の演技〉を体得することが可能となると考え、園子温にとって初めてのワークショップ、そして新人俳優たちとの映画作りがスタートした。
まず、園が全ての応募書類に目を通した書類審査で478名に絞られた。次の第一次演技面談では『エッシャー通りの赤いポスト』の原型となる脚本の一部をテキストに用いて演技面接を行って95名に絞り、そして第二次演技面談で選抜51人が選ばれた。メインの役を得たキャストの多くは、1次の演技面談で見せたパフォーマンスが園の目に止まっていたという。6月27〜29日の3日間、選抜51名の受講者がワークショップに参加。園はテキストとなる脚本に書かれた役の中から、演じたい役を積極的に取りに行くことを参加者に求め、挙手制にした。全ての役に手を挙げて演じる者、これぞと心に決めた役のみを演じる者、経歴も年齢も異なる参加者たちは、それぞれのスタイルで役に食らいついていった。
ワークショップの終了と同時に、全員をキャスティングして映画撮影に入る必要があったため、園も最初に目に止まった俳優だけでなく、全ての役者ごとにそれぞれ適した役はないかを模索した。参加者の1人は、「園さんが求めているのは、言葉を越えた先にあるもの。他の人よりもどれだけ覚悟を持っているかを見られていると思った」と証言する。期待と不安に満ちた
撮影の始まり
ワークショップ終了から数日後、参加者たちに配役が伝えられた。そこから1か月、それぞれの方法で撮影に備えた。園のこれまでの作品や、関連書、発言、映画のメイキングを見ることで予習する者、脚本では明かされていない裏設定を想像する者、いつもと変わらない日常を過ごしながら撮影に備える者――。期待と不安に満ちた撮影がいよいよ始まろうとしていた。
7月31日、高田馬場の名画座・早稲田松竹で、劇中に登場する映画監督・小林を信仰する“小林監督心中クラブ”がポスターを眺めるシーンからクランクイン。この日は都内を移動しながら、ポストに封筒を投函するカットを中心に撮影していった。8月1日は、安子(藤丸千)のアパートを中心に撮影。「園さんの台詞って、詩人の側面があるので、声に出して読むと非常に心地良い」と語る藤丸は、園から「本当は役者がモニターを見るもんじゃないんだ」と言われつつ、撮り終わった演技をモニターで見せてもらいながら、映像における演技を学んでいく。マスコミを前に安子が吠えるシーンでは、脚本に書かれた台詞が終わっても監督はカットをかけずにあえて演技を続けさせた。藤丸はアドリブで続行した演技を「頭の片隅にいる監督している私自身みたいなのが、全然カットかからないなと思いながらオートで自分を喋らせていました」と語る。
8月2日は様々な人々が交錯するオーディション・シーンが、丸1日かけて撮影された。監督の小林(山岡竜弘)、助監督のジョー(小西貴大)、切子(黒河内りく)、方子(モーガン茉愛羅)、安子をはじめ、全キャストの2/3が、次々とオーディション会場に入り、ついこの間、選考のために行われた演技面談を、今度はカメラの前で本番の演技として見せた。いっぽう、自暴自棄に陥った小林を方子が諭すシーンは、2人の心情を繊細に表現する必要があるために、なかなかOKが出なかった。方子役のモーガン茉愛羅は、「園監督からいろいろダメ出しされて試行錯誤したら、テイク40ぐらいまで行って。あのシーンは大変でした」と振り返る。山岡も、「上手くいかないので園監督がスタッフの方と話し合っている間、茉愛羅ちゃんも泣いちゃって、僕も廊下で伏せてしまっていたら監督が来て、“もう一回だけだぞ”って言われて撮ったシーンなので、とても思い出深いものなっています」と語る。
演技経験や映画出演経験のない者も多くいた役者たちの中で異色の存在だったのが、ワークショップに自ら応募したベテラン俳優の藤田朋子だ。切子の母を演じた藤田は、50人をまとめる存在だったと、助監督のジョーを演じた小西が言う。「みんなが緩んでいるときはピシッと言うし、お芝居でも引っ張ってくれたし、自分の出番が無い日でも差し入れを持って来てくださったり、本当に支えてくれた存在です」。壮大なクライマックス
全員が出演するシーンはこれで終わり、渋谷での切子と安子の緊張感に満ちたシーンを撮り終えた後の8月11日、『エッシャー通りの赤いポスト』は、クランクアップを迎えた。
撮影を振り返って松枝は、「ワークショップを受講した新人の俳優は、どう撮られるか、自分の台詞がどうのこうのと気にして芝居がぎこちなくなるんですが、この映画ではそんな余裕は誰一人なく、みんな必死に生きていた。だからこそ本物になれた瞬間があったと思う」と語る。 撮影後の編集作業は、自主映画時代は別にして、これまでは編集者を立てていた園が編集ソフトDaVinci Resolveを用いて、初めて自力で全編を編集。ワークショップ終了後、参加メンバーの中から約20名が、『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』にも出演。ニコラス・ケイジ、ソフィア・ブテラらとの共演を果たしている。撮影中は、園監督の提案でワークショップ出身メンバーが、ニコラスやソフィアと交流する機会もあった。その席で演技についての質問に答える姿は、まるでニコラス・ケイジが講師を務めるワークショップのようだったという。
こうして園監督のワークショップは、参加した俳優たちに大きな出演実績を残して終わりを迎えた。すでに本作は2020年のモントリオール・シネヌーヴォ映画祭で観客賞を受賞するなど、海外の複数の映画祭で上映され、早くも出演者たちに注目が集まり始めている。なお、日本公開版のポスターには、園監督の要望でワークショップに参加した51名全員の名前が記され、俳優としての始まりが刻みつけられている。CHARACTER
安子
切子
方子
小林正
三井丈(ジョー)
アノン
松本ひろな
瀬奈梨々香
武藤
山室
STAFF
プロデューサー:髙橋正弥 小笠原宏之
撮影:鈴木雅也
照明:市川高穂
美術:畦原唱平
録音:大森円華
ヘアメイク:佐々木弥生
アクション指導:匠馬敏郎